見付地区現存牛頭天王・祇園系充実度:充実

天御子神社 あまみこじんじゃ

最終確認 2026-08-17

磐田市見付の市街地、府八幡宮の社叢の東隣に鎮座する小社。遠江国総社・淡海國玉神社の飛び地境内社で、矢奈比賣神社(見付天神)が兼務する。『延喜式』神名帳の遠江国磐田郡「天御子神社二座」に比定される古社で、社伝は一条天皇の正暦2年(991)に天下泰平・五穀豊穣を祈る「舞車の神事」が勅により執り行われたと伝え、舞車神社とも称した。中世以降は牛頭天王と呼ばれ、祭神は素戔嗚尊・櫛稲田姫命。明治12年(1879)7月に郷社に列した。7月中旬の祇園祭では当社から淡海國玉神社へ神輿が渡御し、両社の大祭が行われる。境内後方のヤマモモは市指定天然記念物。矢奈比賣神社・淡海國玉神社とあわせて「見付三社」と呼ばれる。

社殿正面。向拝に注連縄と紙垂を張り、正面に木製の格子戸を立てる。
社殿正面。向拝に注連縄と紙垂を張り、正面に木製の格子戸を立てる。(撮影:2026-08-17)

別称・関連名称:舞車神社

基本情報

天御子神社の基本情報
神社名天御子神社
読み方あまみこじんじゃ
地区見付
系統牛頭天王・祇園系
住所静岡県磐田市見付2990
主祭神素戔嗚尊・櫛稲田姫命 由緒板
旧社格郷社
例祭7月中旬の金曜・土曜・日曜(祇園祭。7月15日直前の金土日)
管理形態兼務
登録区分県神社庁「静岡県の神社」の一覧に単独の項目がない社(当サイトが独自に登録)
位置およその位置(現地未確認) 国土地理院
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由緒

創立年月日は不詳。『延喜式』神名帳(延長5年=927成立)に「遠江国磐田郡 天御子神社二座」と記載され、当社がこれに比定される。社伝によれば、一条天皇の正暦2年(991)に勅を奉じて天下泰平・五穀豊穣のため「舞車の神事」を執り行い、以後、例年これを行ったことから舞車神社とも称した。中世には牛頭天王と称され、江戸時代には牛頭天王・祇園社とも呼ばれた。淡海國玉神社の摂社とされ、慶安元年(1648)の徳川家光朱印状では、淡海國玉神社の朱印高72石余のうち14石余が「祇園舞車領」であったと伝える。明治12年(1879)7月に郷社に列した。現在の社殿は平成10年(1998)に建て替えられたものである。 『静岡県磐田郡誌』(大正10年)は当社を「見付町境町字天王」に在り、神地は府八幡宮の社地に連なると記す。祭神は須佐之男命・櫛稲田姫命で、「式内磐田郡十四座の内、舞車神社とも称す」とし、明治12年に郷社に列したことを載せる。同書が引く社伝によれば、当社は従前より淡海國玉神社の摂社とはいいながら格別の由縁があり、毎年例祭の節には天御子神社の神輿が淡海國玉神社へ渡御して両社の大祭を執り行った。正暦2年に始まる舞車の神事は享保の頃(1716〜1736)まで続けられたが、宿内のたび重なる火災や凶年で再興が行き届かず、その後は旧暦6月8日の間、神幸の社中のみで舞車の儀を行うにとどまったといい、同書編纂の頃には陽暦7月1日を神事始めとして氏子一同が浜垢離をし、2日午後に神輿が淡海國玉神社へ渡御、4日午後に還御していたと記す(同書の神社一覧表は例祭日を7月14日とする)。永禄9年(1566)5月に舞車修理の件で尾張国熱田神社の大宮司から問状の答があったこと、『遠江国風土記伝』が「堺町に在り、牛頭天皇と奉称す。祭日六月十五日、神輿惣社に行幸し舞車を行う(近世廃絶)」と記すこと、謡曲「舞車」(宮増作)が当社の祭礼を題材とすることも同書に見える。 現在の祇園祭は7月中旬の金・土・日の3日間で、初日(宵祭)に当社から淡海國玉神社へ神輿が渡御し、2日目(例祭)に淡海國玉神社例祭と神輿前での天御子神社例祭、3日目(終祭)に三本松御旅所・河原町御旅所を経て当社へ還御する。例祭日に奉納されてきた謡曲「舞車」は令和元年(2019)を最後に途絶えている。天御子神社の本来の祭神については天御子命・天穂日命などの説があり、確定していない。当社は矢奈比賣神社(見付天神)・淡海國玉神社(総社)とあわせて「見付三社」と呼ばれる。

祭礼

境内の見どころ

式内社「天御子神社二座」

『延喜式』神名帳の遠江国磐田郡十四座のうち「天御子神社二座」に比定される。同郡の式内社では淡海國玉神社・矢奈比賣神社・雷三神社(豊雷命神社ほか三座)などと並ぶ古社である。(『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編、1921年、第十三章 神社及宗教「九、天御子神社(見付町)」(国立国会図書館デジタルコレクション pid 965680 コマ337)2026年8月17日確認)

舞車の神事と謡曲「舞車」

社伝に正暦2年(991)勅により始まったと伝える神事。室町期には見付の東坂・西坂両町から舞車(舞台を載せた車)が出て舞が演じられ、その情景は宮増作の謡曲「舞車」に描かれた。江戸中期の享保年間頃に途絶えたが、謡曲は平成元年(1989)に国立能楽堂で復曲上演され、祇園祭例祭での謡曲奉納は令和元年(2019)まで続いた。(『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編、1921年、第十三章 神社及宗教「九、天御子神社(見付町)」(国立国会図書館デジタルコレクション pid 965680 コマ337)2026年8月17日確認/淡海國玉神社公式サイト「祇園祭(ぎおんさい)」(https://sousya.mitsuke-tenjin.com/gionsai/)2026年8月17日確認)

祇園祭の神輿渡御

7月中旬の金・土・日の3日間。宵祭に当社で清め祓いののち神輿に御神霊を遷し、見付各町から選ばれた輿番が奉仕して淡海國玉神社まで渡御する。終祭には三本松御旅所・河原町御旅所を経て当社へ還御し、終祭を行う。(淡海國玉神社公式サイト「祇園祭(ぎおんさい)」(https://sousya.mitsuke-tenjin.com/gionsai/)2026年8月17日確認)

境内の案内板「天御子神社 社記」

参道入口に祭神・御神徳・祭典・由緒を記した案内板が立ち、矢奈比賣神社(見付天神)・淡海國玉神社(総社)とあわせて「見付三社」と呼ばれる旨と、三社の位置図を掲げる。(現地案内板「天御子神社 社記」(参道入口・2026年8月撮影の写真により判読))

文化財

出典

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