向陽地区現存牛頭天王・祇園系充実度:基礎

八坂神社 やさかじんじゃ

最終確認 2026-07-29

磐田市藤上原の西原に鎮座する。『静岡県磐田郡誌』(大正10年)は祭神を須佐之男命とし、祭日を7月15日、明治12年(1879)9月22日に村社に列したと記す。同書は、当社がもと「岩田原」と称し、村落が成立する以前から鎮座していたと伝え、上原村を開発した上原喜平治が願主となって自らの所有地へ勧請したとする。元和年間の天竜川大出水で流亡した村々の住民が移り住み、氏子が三十戸内外に増えた経緯も記録されている。

鳥居から社殿へ続く参道。広い草地と社叢に囲まれる。
鳥居から社殿へ続く参道。広い草地と社叢に囲まれる。(撮影:2026-08-29)

基本情報

八坂神社の基本情報
神社名八坂神社
読み方やさかじんじゃ
地区向陽
系統牛頭天王・祇園系
住所静岡県磐田市藤上原509
主祭神素戔嗚尊 郡誌
旧社格村社
例祭7月15日(『静岡県磐田郡誌』大正10年による)
管理形態未確認
位置およその位置(現地未確認) 国土地理院
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由緒

『静岡県磐田郡誌』(大正10年)の村社略記によれば、当時の大藤村藤上原字西原に鎮座した。祭神は須佐之男命で、相殿に八坂神社、末社に若宮八幡神社ほか二社を合祀する。祭日は7月15日、明治12年(1879)9月22日に村社に列した。 同書は次のように伝える。当社はもと「岩田原」と称し、まだ村落が成立していない時期から鎮座していた。のち上原村を開発した上原喜平治が願主となり(年代は不詳)、その所有地である字前山へ勧請した。当時の氏子は川島庄右衛門・水野吉兵衛・稲垣甚九郎ほか三戸のみであった。 元和年間(1615〜1624)の天竜川大出水により堤が破れ、平松村・掛下村・神増村は家屋も耕地も流亡した。その被害を受けた村の人々は、本村の入会地であった向笠原の官林へ過半が移り住み、年を経て耕地の高請を行い(元禄年間)、本村へ組み込まれた。これにより当社の氏子となった者が三十戸内外に及んだという。 末社の若宮社は、八坂神社の神主であった上原喜平治の二代の孫にあたる源右衛門という者の建立と伝える。同書は喜平治について、三百有余年前に遠江白須賀の城主であった影山尾張守の末孫であり、没落して武蔵国江戸にあったが、慶長年間に磐田原へ移住して上原村を開発したとの伝承も載せる。 ※これらはいずれも同書が伝える伝承であり、同時代史料による裏づけは確認中である。

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