竜洋地区現存神明・伊勢系充実度:基礎

神明宮 しんめいぐう

最終確認 2026-08-07

神明宮は磐田市竜洋中島に鎮座するとされる社で、静岡県神社庁の神社紹介ページには社名と鎮座地のみが掲げられ、祭神も由緒も記されていない。『静岡県磐田郡誌』(大正10年)によれば、この中島村(十束村の内)には往古より若宮八幡宮が鎮座し、元朱印地高十一石七斗を有して同村六十二戸の氏神であったが、明治初年に郷社を定めるにあたり、中島村が僻隅不便の地であったため、社地を東海道沿いの森下村へ移した。現在の郷社若宮八幡宮(磐田市森下)はその後身にあたる。

磐田市竜洋中島/竜洋地区神明宮しんめいぐうこの社は写真を掲載していません。文献による記録のみを掲げます。

基本情報

神明宮の基本情報
神社名神明宮
読み方しんめいぐう
地区竜洋
系統神明・伊勢系
住所静岡県磐田市竜洋中島600
主祭神確認中
旧社格確認中
例祭確認中
管理形態未確認
位置およその位置(現地未確認) 国土地理院
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由緒

静岡県神社庁の神社紹介ページは、本社について社名(神明宮)と鎮座地(磐田市中島600。市の住所表示では磐田市竜洋中島)を掲げるのみで、祭神・例祭・由緒の記載がない。『静岡県磐田郡誌』(大正10年)第十三章「神社及宗教」にも、中島村の社として神明宮を挙げた記述は確認できていない。したがってここに記せるのは、中島という土地の神社がたどった経緯までであり、現在この地に祀られている社が旧中島村の氏神とどう連なるかは未確認である。 同郡誌は、井通村森下字神明森に鎮座する郷社若宮八幡宮の由緒として、次のように記す。創立年度は詳らかでないが、往古より中島村(十束村の内)に鎮座し、元朱印地高十一石七斗、同村六十二戸の氏神であった。「一区に一郷村社設置」の達しがあったとき、区内二十九箇村のうち中島村若宮八幡宮と上本郷村岡本神社の両社が旧朱印地高の筆頭であり、ほかに相当の社格をもつ神社がなかったため、この二社をもって郷村二社と定めた。ただし中島村は僻隅不便の地にあった。いっぽう森下村の氏神神明宮は黒印高一石五斗・除地高三石三斗三合を有し、西之島の氏神若宮八幡宮(元除村高一石七斗三升七合)が森下村神明神社と同社地合殿に鎮座していた。その社地は東海道に沿って区内の中央にあり、きわめて便宜の地であるうえ祭神も同じであったことから、区内の協議により旧浜松県へ移転を出願して允許を得、明治7年(1874)に着手して現在地へ遷座した——というものである。 すなわち現在の郷社若宮八幡宮(磐田市森下699)は、中島村の氏神が社地を移したものであり、中島の社が他所へ吸収されたという関係ではない。同郡誌は、若宮八幡宮の相殿に岡本神社・神明宮・若宮八幡宮の三社を、境内社に二十四社を数え、いずれも郷社区内の各村に鎮座していた氏神であったと記す。いっぽう磐田市立図書館の資料案内は、この郷社を「明治6(1873)年、現在の豊田と竜洋北部にあった28社の神社を統合してつくられました」と説明しており、統合の年次と社数には郡誌と異なる伝えがある。 なお中島が竜洋地区に属するのは近代以降の町村合併によるもので、郡誌は当地を「中島村(十束村の内)」と記す。郷社の区域は現在の豊田地区と竜洋北部にまたがっており、いまの地区区分とは重ならない。市の住所表示では旧竜洋町中島が「磐田市竜洋中島」、旧福田町中島が「磐田市福田中島」で、両者は別の大字である。

出典

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