御厨地区現存神明・伊勢系充実度:基礎

鎌田神明宮(磐田市鎌田) かまだしんめいぐう

最終確認 2026-08-05

磐田市鎌田に鎮座する。『静岡県磐田郡誌』(大正10年)は祭神を豊受大神とし、豊受姫命・邇々藝命・天児屋根命・太玉命を合祀するとの説も併せて記す。旧御厨17か村の総鎮守で、当時は「嶋名神社」とも呼ばれた。はじめ中島村の假屋崎に祀られ、のち鎌田郷へ遷されたという。神託により鎌と箭を授かったことが「鎌田」の地名の由来と伝える。明治6年(1873)3月に村社、明治12年(1879)7月24日に県社に列した。

参道正面から見た鎌田神明宮の拝殿。
参道正面から見た鎌田神明宮の拝殿。(撮影:2026-08-05)

別称・関連名称:嶋名神社

基本情報

鎌田神明宮の基本情報
神社名鎌田神明宮
読み方かまだしんめいぐう
地区御厨
系統神明・伊勢系
住所静岡県磐田市鎌田2262
主祭神豊受大神 郡誌
配祀神邇々藝命・天児屋根命・天太玉命
旧社格県社
例祭確認中
管理形態未確認
位置位置は確認中です
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写真で見る、この神社

写真をひとつずつ見ながら、境内の風景を読み解きます。写真は拡大できます。

社叢の中を進む鎌田神明宮の参道。写真を拡大
社叢の中を進む鎌田神明宮の参道。
撮影:2026-08-05/大石浩之

道の先へ、視線をたどる

木立の間をまっすぐ延びる道に、葉のすき間から光が落ちている。写真の手前と奥を見比べると、道幅の見え方や木陰の濃さが変わっていく。木の名前を知らなくても、足元、幹、枝の順に眺めると風景の細部に気づける。この写真は鎌田神明宮の参道。同じ鎌田のお寺にも、参道を手がかりに関心を広げてみよう。

写真から分かることを中心に紹介しています。歴史の背景は下の読み物へ。

参道正面から見た鎌田神明宮の拝殿。写真を拡大
参道正面から見た鎌田神明宮の拝殿。
撮影:2026-08-05/大石浩之

屋根と入口、どちらが先に目に入る?

正面の写真では、大きな屋根が建物の上半分を占め、その下に注連縄を張った入口が見える。左右の灯籠や狛犬、背後の木立も一緒に見ると、建物だけを切り取った印象とは違ってくる。写真から確かめられる形と、由緒に書かれた歴史を分けて読むのが、神社やお寺の風景を楽しむひとつの方法だ。

写真から分かることを中心に紹介しています。歴史の背景は下の読み物へ。

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由緒

『静岡県磐田郡誌』(大正10年)の県社略記によれば、祭神は豊受大神である。ただし同書は「或は云ふ」として、豊受姫命・邇々藝命・天児屋根命・太玉命を合祀するとの説も併記する。旧御厨17か村の総鎮守であり、当時の人々はこれを「嶋名神社」と呼んだ。 はじめ中島村の假屋崎に奉斎され、のち鎌田郷に遷されたことから、この社号が生じたのであろうと同書は記す。また伝えとして、神託により鎌と箭を授けられたことにより、その里を鎌田と称したという。 神祠造営のために木屋囲いを設けた場所を「木屋貝戸」と称し、そこに一宇の寺を建てて東光寺と号し薬師を祀ったが、明治初年に廃寺となり、あらためて奇神社として神明社の境内に遷された。 假屋崎は最初に仮に奉祀した場所であるため、神事や祈雨の際には御厨17か村の人々が海浜で身を清め、假屋の社頭に集合し、そこから行列をなして神明社に参拝するのが例であった。この縁により、沿海の漁夫たちは祈願があればそろって本社に参拝し、祈願が成就したときには鎌を奉納する習わしが、同書の編まれた大正期にもなお残っていたという。 社格は明治6年(1873)3月に村社に列し、さらに明治12年(1879)7月24日に県社に列せられた。

境内の見どころ

伝来の宝物

『静岡県磐田郡誌』(大正10年)は宝物として、御鎌2・御鋤1・御笠1・御簑1・御鏡5・御機器具一式・御弓8・御箭8・太刀2・鉾2・手鉾1・剣2・小刀1、および日露戦役の戦利品御下賜品を挙げる。鎌が筆頭に挙がる点は、神託により鎌と箭を授かったという社名の由来と対応する。(静岡県磐田郡誌(1921)第十三章)

神明領100石

同書が引く御厨村誌によれば、神明領は古く御厨郷のうち一円の地であったが、天正17年(1589)に社殿が兵燹で焼失し、のち慶長6年(1601)に大坂・伏見において朱印が下され、寛永13年(1636)11月9日に100石の朱印地が定められたという。(静岡県磐田郡誌(1921)第十三章)

出典

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