豊田地区現存諏訪系充実度:基礎
諏訪神社 すわじんじゃ
最終確認 2026-07-29
磐田市立野の堂海道に鎮座する。『静岡県磐田郡誌』(大正10年)は祭神を建御名方命ほか三柱とし、創立年代は不詳、もと朱印神田高2石があったと記す。往古から同所の氏神として鎮座していたが、明治7年(1874)にいったん郷社若宮八幡宮の境内へ合祀された。しかし距離が離れて老幼の参拝が困難なため、明治13年(1880)2月24日に許可を得て、もと松尾神社の境内であった現在地へ分霊を奉祀することとなった。

基本情報
| 神社名 | 諏訪神社 |
|---|---|
| 読み方 | すわじんじゃ |
| 地区 | 豊田 |
| 系統 | 諏訪系 |
| 住所 | 静岡県磐田市立野779 |
| 主祭神 | 建御名方命 郡誌 |
| 旧社格 | 確認中 |
| 例祭 | 確認中 |
| 管理形態 | 未確認 |
| 位置 | およその位置(現地未確認) 国土地理院 |
| 地図 | Googleマップで開く |
境内の写真

境内の手水舎と大木。社地は道路と水路に接する。 
斜めから見た諏訪神社の社殿。 
境内の手水舎と「浄水」と刻まれた手水鉢。 
赤い鳥居を備えた境内社。 
「浄水」と刻まれた石造の手水鉢。 
社殿側から見た参道と石造鳥居。
由緒
『静岡県磐田郡誌』(大正10年)の村社略記によれば、当時の井通村立野字堂海道に鎮座した。祭神は建御名方命ほか三柱。創立年代は詳らかでない。もと朱印神田高2石があった。往古より同所の氏神として鎮座していたが、明治7年(1874)にいったん郷社若宮八幡宮の境内へ合祀された。しかし遠く隔たった地となり、老幼の参拝が困難であったため、明治13年(1880)2月24日に所轄の許可を得て、同村鈴木氏の寄付にかかる、もと松尾神社の境内であった現在地へ分霊を奉祀することとなった。
【文書及記伝】同書は『遠江国風土記伝』を引いて、次のように記す。「立野 諏訪大明神社 朱符之神田高二石 凡そ天龍河辺に諏訪社と称する者は、洪水の時に信濃国より流れ来たる社なり。留まる所に之を斎くなり」(式内の諏訪社とは社地が異なる)。
天竜川流域の諏訪社を「洪水で信濃から流れてきた社」と説明するこの認識は、市内の諏訪信仰の分布を考えるうえで重要である。ただしこれは近世の地誌が伝える説であり、史実としての検証は別に要する。
なお明治7年の郷社合祀と明治13年の分霊復祀という経過は、高木の神明神社・堀之内の天白神社にも共通する。
出典
- 静岡県神社庁「静岡県の神社」神社紹介ページ(参照先を開く)2026年7月29日確認
- 『静岡県磐田郡誌』静岡県磐田郡教育会編、1921年、第十三章 村社略記(国立国会図書館デジタルコレクション pid 965680 コマ396)2026年7月29日確認
同じ系統の神社
同じ地区の神社
ATAWI SHRINE は各神社の公式サイトではありません。記載内容は公開資料と現地確認をもとに整理したもので、祭神・由緒には諸説がある場合があります。誤りのご指摘・掲載に関するお申し出は「このサイトについて」よりご連絡ください。