参拝の作法L12026-07-29
厄年とお祓い ── 依頼の手順と初穂料の考え方
厄年の考え方と、神社に厄祓いなどの祈祷を依頼するときの手順、初穂料の包み方を説明します。
厄年とは
厄年は、人生のなかで慎重に過ごすべきとされる年齢です。
一般に、男性は数え年の25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・37歳とされます。このうち男性の42歳と女性の33歳は大厄と呼ばれ、とくに重く見られてきました。前後の年を前厄・後厄とし、三年続けて注意するという考え方もあります。
数え年は、生まれた年を1歳とし、正月ごとに一つ加える数え方です。満年齢より一つまたは二つ多くなります。厄年は数え年で数えるのが通例とされますが、社によっては満年齢で案内している場合もあります。
厄年の由来については、いくつかの説明があります。陰陽道に由来するという見方、語呂合わせ(42は「死に」、33は「散々」)から生じたという見方、身体や社会的立場が変わる節目にあたるという見方。いずれも一つに定まってはいません。当サイトは、どの説も断定せずに紹介するにとどめます。
確かなのは、この習俗が長く続いてきたということです。年齢を区切って身を慎むという発想は、暦とともに暮らしてきた社会のなかで自然に育ったものでしょう。
厄年をどう受け取るか
厄年について書くとき、注意しなければならないことがあります。
「厄年だから悪いことが起こる」と書けば、それは根拠のない不安を煽ることになります。逆に「祓えば防げる」と書けば、効果を保証することになります。当サイトは、そのどちらも書きません。
厄年に何かが起こる確率が高いという統計はありません。厄祓いを受けた人と受けなかった人で結果に差があるという検証もありません。これは信仰の領域の話であって、効果を測る対象ではないからです。
そのうえで、厄年という習俗には別の側面があります。年齢の節目に立ち止まり、これまでを振り返り、健康や生活を見直す機会になるという側面です。男性の42歳、女性の33歳は、働き盛りであり、家族の状況も変わる時期です。その年に一度身を整えるという習慣は、実際的な意味を持ちえます。
厄祓いを受けるかどうかは、それぞれの判断です。受けないから不用心だということはありませんし、受けたから安心だということでもありません。
お祓いという神事
お祓いは、穢れを祓い清める神事です。
厄祓いに限らず、神社で行われる御祈祷は、おおむね次の流れで進みます。
まず修祓(しゅばつ)。神職が大麻(おおぬさ)を振り、参列者と供え物を清めます。頭を下げて受けます。
次に献饌(けんせん)。神前に供え物を献じます。すでに供えてある場合は省かれます。
祝詞奏上。神職が祝詞を読み上げます。このなかで、依頼者の住所・氏名・願意が述べられます。頭を下げて聞きます。
玉串奉奠。参列者が榊の枝を神前に捧げます。手順は別の記事で詳しく扱っています。
撤饌・昇神。供え物を下げ、神をお送りします。最後にお神札や御守が授与されます。
所要時間は、二十分から三十分程度が一般的です。服装は、正装でなくとも差し支えありませんが、社殿に上がるため、露出の多い服装やサンダルは避けたほうがよいでしょう。
大祓という形
個人が受ける厄祓いとは別に、氏子全体の穢れを祓う神事もあります。大祓です。
六月と十二月の年二回、半年分の穢れを祓います。六月のものを夏越の大祓、十二月のものを年越の大祓と呼びます。
『静岡県磐田郡誌』(大正10年)は、府八幡宮(中泉)で6月30日に大祓式(夏越)が行われ、茅の輪が境内に設えられると記しています。矢奈比賣神社(見付)でも同じ日に夏越の大祓式が行われると同書は伝えます。大正期の磐田で、この神事が実際に行われていたことが分かります。
茅の輪をくぐるという形は、各地に見られます。茅で編んだ大きな輪を境内に立て、参拝者がこれをくぐることで穢れを祓うとされます。
個人の厄祓いが「自分のため」の神事であるのに対し、大祓は共同体全体の神事です。人形(ひとがた)に息を吹きかけて納めるという形をとる社もあります。厄年でなくとも参加できるという点で、こちらのほうが敷居は低いかもしれません。
磐田の実際 ── 依頼できる社が限られる
ここからは磐田の事情です。
厄祓いを受けたいと思ったとき、磐田市内では選択肢が限られます。
当サイトが把握している市内145社のうち、神職が常駐していることを確認できたのは数社にすぎません。静岡県神社庁の掲載で各種御祈祷の案内があるのは、矢奈比賣神社(見付)、府八幡宮(中泉)、貴船神社(掛塚)の3社にとどまります。
『静岡県磐田郡誌』(大正10年)を見ても、当時から事情は似ていました。同書が「代表者」欄に神職名を記す社は、市域146件のうち7件にすぎません。しかもそのうち三社――諏訪神社(大当所)、日吉山王神社(上野部)、秋葉神社(新開)――は同じ宮司の名で記されており、兼務であったことが分かります。
自分の氏神で厄祓いを受けたい場合、まずその社を管理している神職を探すことになります。無人の社では社頭に連絡先が掲示されていることがあります。掲示がなければ、氏子総代や自治会に尋ねるのが確実です。
それも難しい場合は、社務所のある社に依頼することになります。氏神でなくとも差し支えないという考え方が一般的です。
いずれの場合も、事前の予約が要ります。当日いきなり訪ねても、神職が不在であれば受けられません。電話で日時を相談してから出向くのが確実です。
玉串奉奠がある
御祈祷を受けると、途中で玉串を捧げる場面があります。神職から榊の枝を受け取り、根元が神前を向くように回して案に置き、二拝二拍手一拝の拝礼をします。
初めて経験する方は戸惑いますが、神職が案内してくれることがほとんどです。複数人で受ける場合は、前の人の動作を見ておけば十分でしょう。
初穂料の包み方
御祈祷を依頼する際は、初穂料を納めます。
のし袋は、紅白の蝶結びのものを用います。表書きは上段に「初穂料」または「玉串料」、下段に祈祷を受ける人の氏名を書きます。厄祓いの場合は、本人の氏名です。
金額は、社によって目安が示されていることが多くあります。五千円から、あるいは一万円から、といった形です。予約の際に尋ねて差し支えありません。金額によって祈祷の内容が変わる場合(授与品の違いなど)もあります。
新札を用意する必要があるかについては、決まりはありません。慶事にあたるため新札を用いる人が多いようですが、そうでなければならないわけではありません。
受付で袋のまま渡します。社によっては、受付用紙に住所・氏名・生年月日を記入します。祝詞のなかで読み上げられるためです。
当日の流れ
予約した時刻より少し早めに社務所へ行き、受付を済ませます。初穂料を渡し、用紙に記入し、控室で待ちます。時刻になると社殿に案内されます。
ほかの依頼者と一緒に受けることもあります。その場合、祝詞のなかで複数の名前が読み上げられます。自分だけのために行われるものではない、という形が気になる方もいるかもしれませんが、神事としての性格は変わりません。
終わったあと、授与されたお神札は家に持ち帰り、神棚があればそこに納めます。神棚がなければ、目線より高い清浄な場所に立てて祀ります。一年後に社へ納めるのが通例です。
厄年と社の関わり
厄祓いをどの社で受けるかを考えるとき、その社が何を祀っているかを知っておくと、選び方が変わってきます。
当サイトは、市内145社のうち109社について祭神を確認しました。多いのは、天照大御神、誉田別命(八幡神)、素盞嗚尊、大山祇命、菅原道真といった神々です。
素盞嗚尊を祀る社が市内に多いのは、八雲神社・津島神社・牛頭天王社の系統が各所にあるためです。疫病を祓う神として信仰されてきた経緯があります。八雲神社(川袋)は、『静岡県磐田郡誌』によれば氏子1215戸を数える大きな社でした。
ただし、特定の神が厄除けに効くという書き方を当サイトはしません。どの神を祀る社であっても、そこに参ることの意味は変わらないという立場です。祭神を知ることは、選ぶための基準ではなく、その社を理解するための手がかりです。
節目をどう過ごすか
厄年について書いてきましたが、結局のところ、これは年齢の節目をどう過ごすかという話です。
厄祓いを受ける。受けずに過ごす。氏神に参るだけにする。健康診断を受ける。生活を見直す。どれを選んでも構いません。
ただ、何もせずに一年を過ごすより、何か一つ区切りをつけたほうが、記憶に残るのは確かでしょう。神社に参るというのは、その区切りのつけ方の一つです。
磐田市内には145社の神社があります。その多くは集落のなかにあり、歩いて行ける距離にある家も多いはずです。無人の社であれば御祈祷は受けられませんが、参拝はできます。厄年の年に、自分の氏神を訪ねてみる。それだけでも、区切りにはなります。
当サイトが各社の祭神・例祭日・所在地を整理しているのは、そうした機会に使っていただくためでもあります。厄年をきっかけに、近所の社の名前を初めて知ったという方がいれば、それはそれで意味のあることだと思います。
厄年の年に何をするかは、その人の暮らしのなかで決まることです。神社に参ることを選ぶ人もいれば、選ばない人もいます。当サイトが書けるのは、参ろうと思ったときにどこへ行けばよいか、何をすればよいかという実際的なことだけです。
厄年という区切りは、暦が作り出したものです。その区切りに意味を持たせるかどうかは、受け取る側に委ねられています。意味を持たせると決めたなら、近くの社を訪ねてみるところから始めればよいでしょう。市内145社のどれかが、あなたの住む大字を守ってきた社のはずです。
年齢は誰にでも等しく訪れます。その一年をどう過ごすかだけが、それぞれに委ねられています。
出典・参考
- 神社本庁ほか公開資料