参拝の作法L12026-07-29
参拝の時期 ── 初詣・月次参り・お礼参りの考え方
初詣はいつまでに行くべきか、普段の参拝はいつがよいかなど、参拝の時期にまつわる考え方を整理します。
参拝によい日はあるか
神社に参拝する日について、さまざまな言い伝えがあります。
大安がよい、仏滅は避けるべき。一粒万倍日、天赦日。こうした暦の吉凶が、参拝や御祈祷の日取りを決める材料として語られることがあります。
しかし、これらは六曜や暦注と呼ばれるもので、神道とは由来を異にします。神社本庁をはじめとする公的な案内で、参拝日を暦の吉凶で選ぶよう定めたものは見当たりません。
当サイトは、暦の吉凶を参拝の可否と結びつける記述を書かない方針を採っています。行きたいと思ったときが参拝の日である、というのが素直な考え方でしょう。ただし、御祈祷を依頼する場合は、家族の都合や神職の予定を合わせる必要があるため、日取りを決めること自体には意味があります。
朝がよいとされる理由
時刻については、朝が望ましいとする案内をよく見かけます。
理由として説明されるのは、境内が清められた直後であること、参拝者が少なく静かであること、一日の始まりに神前に立つという区切りの意味があること。いずれも合理的な説明ですが、いずれも決まりではありません。
夕方以降の参拝を避けるべきだという言い方もありますが、根拠は明確ではありません。実際の問題としては、日が落ちてからの参拝は足元が危ないという点のほうが大きいでしょう。
磐田市内の神社は、多くが無人で、境内灯のない社も少なくありません。参道が未舗装であったり、木の根が張り出していたりします。暗くなってからの参拝は、作法の問題以前に、安全の問題として避けたほうがよいと考えます。
磐田の実際 ── 祭りは十月に集中する
ここからは磐田の事情です。
当サイトは、市内145社のうち102社について例祭日を確認しました。その分布を月ごとに見ると、明確な偏りがあります。
十月が突出しています。次いで、正月と春先にいくつか。夏場はほとんどありません。
これは農事暦と対応しています。稲刈りを終えた十月に、収穫を感謝する祭りを行う。農村の祭祀としては自然な形です。磐田は天竜川の下流域に開けた平野で、稲作が盛んな土地でした。『静岡県磐田郡誌』(大正10年)が記録する各社の祭日も、この構造を反映しています。
正月に例祭を行う社も八社あります。八王子神社(稗原)の1月2日、六所神社(鎌田)の1月7日、飯布水神社(向笠新屋)と熊野神社(向笠竹之内)の1月11日、八王子神社(下太)の1月15日、鹿島神社(岩井)の1月17日、賀茂神社(加茂)の1月20日、天神社(加茂)の1月25日。
祭りの日に訪ねると、普段は閉ざされている社殿が開いていたり、氏子の方々が集まっていたりします。無人の社を知るには、この日が最もよい機会です。ただし、祭りは氏子の行事です。外から訪ねる者は、邪魔にならない位置で見学するのが礼儀でしょう。
初詣について
年始の参拝を初詣と呼びます。
この習慣は、比較的新しいものとされます。もとは大晦日から元日にかけて氏神の社にこもる「年籠り」や、その年の恵方にあたる社に参る「恵方詣」があり、鉄道網の発達とともに現在の形になったと説明されます。
磐田市内で初詣に人が集まるのは、社務所のある社です。矢奈比賣神社(見付)、府八幡宮(中泉)、貴船神社(掛塚)といった社では、年始に授与所が開かれます。
一方、無人の社では、正月であっても普段と変わらないことが多いようです。氏子の方々が注連縄を替え、幟を立てる社もありますが、参拝者向けの設えはありません。
初詣を氏神で済ませるという考え方もあります。自分の住む土地を守る神に、年の初めの挨拶をする。有名な社に出向くのとは別の意味があります。自分の氏神がどの社かを知らない場合は、当サイトの大字別の一覧が手がかりになるかもしれません。
季節ごとの見え方
同じ社でも、訪ねる季節によって印象が変わります。
冬は、落葉して社叢が透け、社殿の全体が見えます。空気が澄み、写真も撮りやすい。磐田は遠州灘に近く、冬は「遠州の空っ風」と呼ばれる強い西風が吹きますが、雨は少なく、境内を歩くには適した季節です。
春は、社叢の新緑と、境内の桜。市内には桜の古木を持つ社があります。
夏は、草が伸び、蚊が多く、無人の社では参道が歩きにくくなることがあります。訪ねるなら早朝が現実的でしょう。
秋は、祭りの季節です。前述のとおり十月に例祭が集中します。幟が立ち、社殿が開かれる。年に一度、社が本来の姿を見せる時期です。
当サイトが現地撮影を十二月から二月に計画しているのは、こうした事情によります。作法の話からは離れますが、いつ訪ねるかという問いには、こうした実際的な答え方もあります。
無人の社を訪ねる時間
磐田市内145社のうち、神職が常駐していることを確認できたのは数社です。残る大半は無人の社であり、訪ねる時間の考え方も少し変わってきます。
社務所のある社なら、授与所の開いている時間に合わせる必要があります。御朱印や御守を受けたい場合、また御祈祷を依頼する場合は、事前に連絡して時間を確認するのが確実です。
無人の社には、そうした制約がありません。境内はたいてい開かれており、いつ訪ねても参拝できます。ただし、社殿の扉は閉ざされていることがほとんどで、拝殿の前で手を合わせる形になります。
注意したいのは、無人の社の多くが住宅地や農地のなかにあることです。境内に接して民家が建っている社、参道が私道のように見える社もあります。早朝や夜間に人が立ち入ると、近隣の方に不審に思われることがあります。日中の明るい時間帯に、自転車や車の停め方に気を配って訪ねるのが無難でしょう。
当サイトが各社の座標を公開する際、社殿の位置ではなく一の鳥居または参道入口の位置を採るという方針を定めているのも、こうした事情に関わります。訪ねる人が、まず正面から入れるようにするためです。
年中行事の日に
例祭以外にも、社によって年中行事が行われます。
『静岡県磐田郡誌』(大正10年)は、府八幡宮(中泉)で6月30日に大祓式(夏越)が行われ、茅の輪が境内に設えられると記します。矢奈比賣神社(見付)でも同じ日に夏越の大祓式が行われると同書は伝えます。大祓は六月と十二月の年二回、半年分の穢れを祓う神事です。
矢奈比賣神社の例大祭、いわゆる見付天神裸祭については、大祭の三日前に氏子が遠州灘の荒波に身を浸して心身を清める「浜垢離」の神事が行われると『静岡県磐田郡誌』に記されています。府八幡宮の例祭でも、一週前の日曜に「前の浜」で浜垢離が行われるとあります。祭りは当日だけのものではなく、前後に一連の神事を伴うものでした。
こうした行事の日程は、社によって異なり、現在も同じ形で続いているとは限りません。当サイトが記録しているのは大正期の記述であり、現行の日程については社頭の掲示や氏子の方に確認する必要があります。
いつ行くかより、どう行くか
参拝の時期について書いてきましたが、結局のところ、日を選ばなければならない場面は限られます。
御祈祷を依頼するとき。祭りを見たいとき。写真を撮りたいとき。そうした目的があるなら、日程を調べる意味があります。しかし、ただ手を合わせに行くだけなら、思い立った日が参拝の日でしょう。
暦の吉凶を気にして参拝をためらうより、気になったときに足を運ぶほうが、その社との関わりは続きます。氏神への参拝はとくにそうです。遠方の名社に年に一度参るのとは違い、近所の社は何度でも訪ねられます。
当サイトが市内145社を一社ずつ記録しているのは、そうした身近な社に目を向ける手がかりを作るためです。祭神が分かり、例祭日が分かり、大正期の由緒が分かれば、同じ社の前に立ったときの見え方が変わります。いつ行くかを決めるのは、そのあとの話です。
例祭日の分布をもう一度見ておきます。十月に集中し、正月と春先にいくつか、夏はほとんどない。この形は、磐田が農業の土地であったことを示しています。
当サイトが確認できた102社の例祭日は、『静岡県磐田郡誌』(大正10年)に記された大正期のものが中心です。現在も同じ日に祭りを行っているとは限りません。十月の平日に設定されていた祭日を、近い日曜に移した社は多いと考えられます。氏子が勤めに出るようになれば、平日に祭りを行うことは難しくなります。
その意味で、例祭日のデータは「かつてこの日だった」という記録として読むべきものです。実際に祭りを見に行きたい場合は、社頭の掲示や自治会の案内でその年の日程を確かめる必要があります。
それでも、大正期の祭日が十月に集まっていたという事実には意味があります。百年前、この土地の人々が稲刈りを終えた同じ時期に、それぞれの集落で祭りをしていた。その一斉さは、農事暦が生活の基本であった時代の姿です。
参拝の時期を考えるということは、その社が何のために在るのかを考えることでもあります。収穫を感謝するための社なら、秋に訪ねる意味があります。水を鎮めるための社なら、川の様子とあわせて見ると分かることがあるでしょう。市内には水神社が複数あり、水神社(匂坂上)は永享3年(1431)に天竜川の大囲堤が破壊されて浸水したことを機に、翌年に勧請されたと『静岡県磐田郡誌』は伝えます。そうした由緒を知ってから訪ねると、季節の意味も変わってきます。
旧社格の分布を見ると、市内で県社・郷社・村社が確認できるのは18社です。格の高い社ほど広い範囲から参拝者を集め、年始や祭礼の日には賑わったと考えられます。一方、無格社であった社の多くは、いまも集落のなかで静かに保たれています。どちらを訪ねるかで、選ぶべき時期も変わってきます。
出典・参考
- 神社本庁ほか公開資料