神社の基礎資料L12026-07-29

数を名にもつ神社 ── 六所・七社・十一社・十二社・十九社

磐田市内には、数字を社名に含む神社が目立つ。六所・六社・七社・十一社・十二社・十九社。この数が何を指すのかを整理する。

数字を名にもつ神社

磐田市内の神社を一覧していると、数字を含む社名が目につく。六所神社が7社、六社神社が1社、七社神社、十一社神社、十二社神社が2社、十九社神社。合わせて13社が数を名に負っている。市内145社のうち一割近くにあたり、決して少なくない。

これらの数字は何を指すのか。結論からいえば、多くの場合は祀られる神の柱数である。

柱数と社名が一致する例

六社神社(福田)福田地区/祭神:底津綿津見神六所神社(小島)南部地区/祭神:底津綿津見神六所神社(豊浜)福田地区/祭神:底津綿津見神・中津綿津見神・表津綿津見神・底筒男神・中筒男神・表筒男神六所神社(笠梅)向陽地区/祭神:六所大神六所神社(千手堂)南部地区/祭神:表津少童命六所神社(鎌田)御厨地区/祭神:底津綿津見神六所神社(東小島)福田地区/祭神:未確認六所神社(大平)豊岡地区/祭神:素戔嗚尊
「六所」「六社」を名にもつ8社と祭神(『静岡県磐田郡誌』大正10年による。東小島は記載を見いだせず未確認)

『静岡県磐田郡誌』(大正10年=1921)は、上大之郷の十二社神社の祭神を「国常立尊ほか十一柱」と記す。国常立尊を含めて十二柱であり、社名の「十二」と一致する。

もっとも明確なのは六所神社である。豊浜の六所神社について、同書は祭神を次の六柱と記す。底津綿津見神・中津綿津見神・表津綿津見神、そして底筒男神・中筒男神・表筒男神。前の三柱は綿津見三神、後の三柱は筒男三神(住吉三神)で、いずれも海に関わる神である。記紀神話では、伊邪那岐命が禊を行った際にこの六柱が生まれたとされる。

さらに千手堂の六所神社の由緒は、この六柱の性格を明言する。古老の伝えとして、この地は往古「大乃浦」の海浜であったことにより、海神六神を鎮座して産土神と崇敬したという。「六所」の六が海の神六柱を指すことが、この一文で確定する。

市内の他の六所神社――鎌田・小島の六所神社、福田の六社神社――は、いずれも祭神を「底津綿津見命以下六神」「底津綿津見命ほか五柱」と略記する。豊浜と同じ六柱を指すと考えれば、記載はよく整合する。

一致しない例

誉田別命14社素戔嗚尊10社伊邪那美命7社大山咋神7社建御名方命7社天児屋根命6社菅原道真公5社罔象女神5社天之忍穂耳命4社大山祇命4社
祭神別の奉斎社数 上位10柱(祭神が判明した社から集計。全58柱)

一方、社名と柱数が合わない例もある。

草崎の七社神社は、祭神を「大鷦鷯天皇・表津綿津見神ほか十柱」と記される。挙げられた二柱に十柱を加えれば十二柱となり、社名の「七」と合わない。稗原の八王子神社は「奧津島姫命ほか七柱」で合計八柱、これは社名と合う。だが千手堂の六所神社の境内社は明治43年(1910)に九社が本社へ合祀されており、その分だけ祭神が増えている可能性がある。

柱数のずれには、いくつかの理由が考えられる。合祀によって神が増えた場合。逆に、伝わるうちに柱数が失われた場合。あるいは、そもそも社名の数字が柱数ではなく、別の何か――たとえば六つの村、七つの集落――を指していた場合。磐田の資料からは、このうちどれとも断定できない。

内訳の分からない社

市内の数詞社名の社のうち、祭神の内訳が判明しているのは一部にすぎない。

十一社神社(下大之郷)は「八十枉津日命ほか十柱」とする記載があるが、当サイトでは表の列の対応を読み切れておらず、確定していない。十二社神社(東脇)は郡誌が祭神を「不詳」と記す。大正期の時点ですでに祭神が伝わっていなかったことになる。十九社神社(豊田)については、鎮座地の小字と現在の大字の対応が確認できず、郡誌のどの記述にあたるかを特定できていない。笠梅の六所神社は祭神を「六所大神」とまとめて記すのみで、内訳がない。

数を手がかりにする

数詞社名の社に出会ったとき、まず祭神の柱数を確かめるとよい。合っていれば、社名が祭神の構成をそのまま示していることになる。合わなければ、そこに合祀や忘却の跡がある。どちらにしても、その社の来歴を考える入り口になる。

当サイトの祭神別一覧では、どの神がどの社に祀られているかを横断して見ることができる。海の神を祀る社が低地に、山の神を祀る社が山あいに分布するといった対応も、そこから読み取れることがある。

数詞社名から見えてくるもう一つのことは、市内の神社の分布と地形の関係である。六所神社・六社神社の8社のうち、祭神が海の神とされるものは、いずれも天竜川・太田川の下流域か、遠州灘に近い低地にある。豊浜、福田、鎌田、小島、千手堂。一方、山あいの大平にある六所神社だけは祭神を素盞嗚命とし、海の神を祀らない。

「六所」という同じ社名が、土地によって違う中身を持つ。これは社名を手がかりに信仰を分類することの限界を示すと同時に、社名と土地を突き合わせることの有効性も示している。社名だけを見ても、祭神だけを見ても分からないことが、両方を並べると見えてくる。

市内の数詞社名の社は13社。そのうち祭神の内訳まで判明しているのは半数に満たない。残りについては、現地の由緒板や『磐田市誌』などによる補充を待つことになる。数が名になっているということは、その数を数え直せば何かが分かるということでもある。

付け加えるなら、数詞社名は磐田に限った現象ではない。六所神社は関東・東海に広く分布し、総社(その国の神々をまとめて祀る社)との関係で語られることも多い。ただし磐田の六所神社について郡誌が伝えるのは、総社ではなく海神六柱という理解である。同じ社名でも、地域によって伝えられてきた説明が違う。一般論を当てはめる前に、その土地の資料が何と言っているかを確かめる。当サイトが磐田の記録にこだわるのは、そのためである。

柱数のずれをどう考えるか

1723141561768591210691112
例祭日が判明している102社の月別分布(資料の記載時点。現在の祭日とは異なる場合がある)

社名の数字と祭神の柱数が合わない場合、いくつかの可能性が考えられる。

第一に、合祀によって神が増えた場合である。六所神社(千手堂)は明治43年(1910)2月28日に境内神社の稲荷神社ほか八社を本社へ合祀している。合祀前の祭神が六柱であったとしても、合祀後には増えているはずである。郡誌が記す「表津少童命以下六神」という表現が、合祀前の姿を伝えているのか、合祀後も六神としているのかは判然としない。

第二に、伝わるうちに柱数が失われた場合である。十二社神社(東脇)について、郡誌は祭神を「不詳」と記す。大正10年(1921)の時点ですでに、十二柱が何であったかが分からなくなっていた。社名だけが残り、中身が失われた例である。造立神社(東新屋)も同様に祭神が不詳とされる。

第三に、そもそも社名の数字が柱数ではなかった可能性である。六つの村、七つの集落、十二の氏子組。数が別の何かを指していたとしても不思議ではない。磐田の資料からは、このうちどれとも断定できない。

七社神社(草崎)の例は考えさせる。祭神は「大鷦鷯天皇・表津綿津見神ほか十柱」で、合計十二柱になる。社名の七と合わない。だが創立を「至徳年中(1384〜1387)以前」とする記載があり、市内の村社では際立って古い年代が挙がっている。古い社であればあるほど、途中で祭神が増減する機会も多かったはずである。

内訳の分からない社をどう扱うか

市内の数詞社名の社のうち、祭神の内訳が判明しているのは一部にすぎない。当サイトの現状を正直に記しておく。

十一社神社(下大之郷)について、郡誌の一覧表には「八十枉津日命ほか十柱」と読める記載があるが、表の列の対応を読み切れておらず、確定していない。十二社神社(東脇)は祭神が「不詳」と記される。十九社神社(豊田)については、鎮座地の小字と現在の大字の対応が確認できず、郡誌のどの記述にあたるかを特定できていない。笠梅の六所神社は祭神を「六所大神」とまとめて記すのみで、内訳がない。六所神社(東小島)は郡誌に記載を見いだせず、祭神が不明のままである。

13社のうち、内訳まで確かめられたのは半数に満たない。これを不備と見ることもできるが、確かめられていないことを確かめられていないと書いておくことにも意味がある。次に調べる人が、どこから始めればよいかが分かるからである。

社名と土地を突き合わせる

782年1312年諏訪神社(天竜)六所神社(笠梅)淡海國玉神社(見付)八王子神社(下太)王子神社(明ヶ島)天神社(加茂)賀茂神社(加茂)西宮神社(玉越)熊野神社(豊岡)八幡神社(寺谷)八幡宮(新貝)坂本神社(篠原)
資料が伝える創建年代の古い順12社(全34社。いずれも伝承であり同時代史料の裏づけはない)

数詞社名から見えてくるもう一つのことは、市内の神社の分布と地形の関係である。

六所神社・六社神社の8社のうち、祭神が海の神とされるものは、いずれも天竜川・太田川の下流域か、遠州灘に近い低地にある。豊浜、福田、鎌田、小島、千手堂。一方、山あいの大平にある六所神社だけは祭神を素盞嗚命とし、海の神を祀らない。笠梅は磐田原台地の縁辺という中間的な立地にあり、祭神は「六所大神」とだけ記されて内訳が分からない。

「六所」という同じ社名が、土地によって違う中身を持つ。これは社名を手がかりに信仰を分類することの限界を示すと同時に、社名と土地を突き合わせることの有効性も示している。社名だけを見ても、祭神だけを見ても分からないことが、両方を並べると見えてくる。

付け加えるなら、数詞社名は磐田に限った現象ではない。六所神社は関東・東海に広く分布し、総社(その国の神々をまとめて祀る社)との関係で語られることも多い。ただし磐田の六所神社について郡誌が伝えるのは、総社ではなく海神六柱という理解である。同じ社名でも、地域によって伝えられてきた説明が違う。一般論を当てはめる前に、その土地の資料が何と言っているかを確かめる。当サイトが磐田の記録にこだわるのは、そのためである。

数詞社名の社に出会ったとき、まず祭神の柱数を確かめるとよい。合っていれば、社名が祭神の構成をそのまま示していることになる。合わなければ、そこに合祀や忘却の跡がある。どちらにしても、その社の来歴を考える入り口になる。

当サイトの祭神別一覧では、どの神がどの社に祀られているかを横断して見ることができる。誉田別命が14社、素戔嗚尊が10社、伊邪那美命・大山咋神・建御名方命がそれぞれ7社。この数字と社名を突き合わせると、市内の信仰の輪郭が少しずつ見えてくる。

数が名になっているということは、その数を数え直せば何かが分かるということでもある。六所の六、七社の七、十二社の十二。それぞれの数の向こうに、かつて確かに数えられた神々がいた。いまは分からなくなった社も多いが、分からないと書いておけば、いつか誰かが数え直すことができる。

最後に、数詞社名を調べるときの実際的な手順をまとめておく。第一に、社名の数字を確認する。第二に、資料に記された祭神の柱数を数える。第三に、両者が合うかどうかを見る。第四に、合わない場合は合祀の記録を探す。第五に、それでも説明がつかなければ、社名の数字が柱数以外の何かを指している可能性を考える。この五段階を踏むだけで、その社について言えることと言えないことがはっきりする。急いで結論を出す必要はない。分からないまま記録しておけば、別の資料が見つかったときに接続できる。

出典・参考