参拝の作法L12026-07-29
神葬祭と忌服 ── 神道の葬儀と、忌中の神社参拝
神道式の葬儀「神葬祭」の特徴と、身内を亡くした後の忌服期間中の神社参拝の考え方を説明します。
神葬祭とは
神葬祭は、神道の形式で行う葬儀です。
「しんそうさい」と読みます。日本の葬儀の大半は仏式で行われますが、神道の家では神葬祭が営まれます。
神葬祭では、故人は家の守り神になると考えられます。仏式が成仏を願うのに対し、神葬祭は故人の霊を家に留め、子孫を守る存在として祀るという考え方をとります。この違いが、儀式の各所に表れます。
神葬祭が広まったのは、近世以降とされます。江戸時代の寺請制度のもとでは、すべての家が寺の檀家となることが求められ、葬儀は仏式で行われました。神職の家でさえ仏式で葬られた例があります。神葬祭が制度として認められたのは幕末から明治にかけてで、その後も普及は限定的でした。
現在も、神葬祭を行う家は多数派ではありません。参列する機会が少ないため、作法が分からず戸惑うことがあります。
神葬祭の流れ
神葬祭は、次のような順で進みます。名称は流儀によって異なります。
帰幽奉告(きゆうほうこく)。死を神棚と祖霊舎(それいしゃ)に告げ、白紙を貼って閉じます。神棚封じと呼ばれます。
枕直しの儀。遺体を安置し、守り刀を置きます。
納棺の儀。遺体を棺に納めます。
通夜祭・遷霊祭(せんれいさい)。仏式の通夜にあたります。遷霊祭では、故人の霊を霊璽(れいじ)に遷します。仏式の位牌にあたるものです。この儀は暗闇のなかで行われます。
葬場祭。仏式の告別式にあたります。祭詞(さいし)が奏上され、参列者が玉串を捧げます。
火葬祭・埋葬祭。火葬または埋葬の際に行います。
帰家祭・直会。自宅に戻り、祓いを受けて葬儀の終了を告げます。
その後、十日ごとに霊祭を行い、五十日祭をもって忌明けとするのが通例です。一年祭、三年祭、五年祭と続きます。仏式の法要にあたるものです。
参列するときの作法
神葬祭に参列することになったとき、押さえておきたい点がいくつかあります。
最も重要なのは、拍手を音を立てずに行うことです。「忍手(しのびて)」といいます。両手を合わせる直前で止め、音を出しません。
玉串を捧げたあと、二拝二拍手一拝の形をとりますが、この拍手が忍手になります。うっかり音を立ててしまっても咎められることはありませんが、知っておけば落ち着いて臨めます。
玉串の捧げ方は、慶事と同じです。右手で根元を持ち、左手で葉先を支え、案の前で時計回りに回して根元を神前に向け、両手で置きます。
不祝儀袋の表書きは「玉串料」「御榊料」「御神前」とします。「御霊前」も用いられます。「御仏前」は仏式の語なので使いません。水引は黒白または双銀の結び切りです。
数珠は仏具ですので用いません。焼香もありません。
服装は仏式と同じく喪服です。この点に違いはありません。
忌中と喪中
近親者が亡くなったあとの一定期間を、忌中・喪中といいます。
忌中は、神道では五十日祭までとするのが一般的です。この期間は死の穢れがあるとされ、神社への参拝を控えるという慣習があります。
喪中は、一年程度とすることが多いようです。忌中より緩やかで、参拝を控える対象にはならないとされます。年賀状を控えるのは喪中の慣習です。
期間の長さは、故人との関係によって差があります。かつては服忌令(ぶっきりょう)という規定があり、続柄ごとに日数が定められていました。現在は法的な定めはなく、慣習に委ねられています。
神棚封じも、忌明けまで続けます。白紙を貼り、供え物と拝礼を休みます。忌明けに紙を外し、通常に戻します。
祭りと忌中が重なるとき
忌中が氏神の例祭と重なることがあります。
当サイトが確認した102社の例祭日は十月に集中しています。稲刈りを終えた時期に収穫を感謝する祭りを行うという、農村の祭祀の形です。氏子として祭りの役に当たっている家で忌中が重なると、役を代わってもらう必要が生じます。
こうした場合の扱いは、集落ごとの取り決めによります。神輿を担がない、社殿に上がらないという形で部分的に参加する例もあると聞きます。文献に記録が残らない領域であり、当サイトとしても確かなことは書けません。氏子総代や年長者に尋ねるのが確実です。
忌中に神社へ行けないのか
忌中に神社への参拝を控えるという慣習について、少し立ち入っておきます。
神道が死を穢れとするのは、死を汚らわしいものと見なすからではないと説明されます。穢れは「気枯れ」であり、生命力が衰えた状態を指すという解釈があります。喪失によって力が衰えた者を、社という場から一時的に遠ざけ、回復を待つ。そういう考え方です。
この解釈も一つに定まったものではありません。当サイトは、断定を避けて紹介するにとどめます。
実際の運用としては、鳥居をくぐらない、境内に入らないという形をとります。神社に用がある場合は、忌明けを待つか、事前に神職に相談します。初詣や祈願の予定が忌中にかかる場合は、時期をずらすのが一般的です。
ただし、この慣習を厳格に守るかどうかは家や地域によります。近年は緩やかに解する向きもあります。迷った場合は、参拝先の社に尋ねるのが確実です。
磐田の実際 ── 尋ねる先がない
ここからは磐田の事情です。
忌中の扱いについて社に尋ねようとしても、磐田市内では相手が見つからないことがあります。
当サイトが把握している市内145社のうち、神職が常駐していることを確認できたのは数社にすぎません。静岡県神社庁の掲載で各種御祈祷の案内があるのは、矢奈比賣神社(見付)、府八幡宮(中泉)、貴船神社(掛塚)の3社です。
『静岡県磐田郡誌』(大正10年)を見ても、同書が「代表者」欄に神職名を記す社は市域146件のうち7件にすぎません。うち三社は同じ宮司の兼務です。百年前から、神職の常駐する社は限られていました。
氏神が無人の社である場合、忌中の参拝について尋ねる先がありません。その場合、社務所のある社に一般論として尋ねるか、氏子総代や自治会の年長者に地域の慣習を聞くことになります。
集落ごとに慣習が違うことは十分にありえます。『静岡県磐田郡誌』は各社の社格・祭神・例祭日・由緒を記録していますが、忌服の慣習までは記していません。文献から知る手立てがないため、聞き取りに頼るほかありません。当サイトが将来的に現地調査を行う際、こうした無形の慣習も記録の対象になると考えています。
仏式との併存
日本の多くの家では、葬儀は仏式、初詣や七五三は神社という形で、二つの信仰が併存しています。
この併存は、長い歴史のなかで形づくられたものです。近世まで神仏習合が一般的で、神社と寺が同じ境内にあることも珍しくありませんでした。明治初年の神仏分離令によって制度上は切り離されましたが、生活のなかの慣習はそれほど単純には分かれませんでした。
磐田市内の神社にも、その痕跡が残ります。牛頭天王を祀っていた社が明治以降に素盞嗚尊を祭神とする八雲神社・津島神社となった例、社名から仏教色を除いた例があります。当サイトが確認できた旧社格は145社のうち18社で、県社が鎌田神明宮と淡海國玉神社の2社、郷社が9社、村社が7社ですが、こうした社格の付与も明治の制度整備の産物です。
葬儀を仏式で行いながら、氏神には毎年参る。この形は、矛盾ではなく、この国の宗教のあり方そのものです。神葬祭を選ぶ家が少数であることも、その延長にあります。
当サイトは神社の記録を目的としていますが、神社だけを見ていては土地の信仰は分かりません。寺との関係、行事の分担、家ごとの選択。そうしたものを含めて、この土地の信仰の形があります。
知っておくということ
神葬祭に参列する機会は、多くの人にとって稀です。忌服の慣習も、実際に近親者を亡くしたときに初めて調べることになります。
そのときに慌てないよう、玉串の捧げ方、忍手、不祝儀袋の表書きといった要点だけでも知っておけば十分でしょう。細部を間違えても、咎められることはありません。葬儀は作法を競う場ではないからです。
忌中の参拝についても、厳密に守らなければならないというより、そういう考え方があると知っておく程度でよいと考えます。地域や家によって扱いは違い、唯一の正解はありません。
磐田市内には145社の神社があります。そのほとんどは無人で、訪ねても誰も何も教えてくれません。だからこそ、こうした知識を文章として残しておく意味があると考えています。当サイトは、祭神が確認できた109社、例祭日102社、大正期の由緒112社という記録とあわせて、作法についても書き留めていきます。
死をどう扱うかは、その社会の考え方が最も表れるところです。神道が死を穢れとし、一定期間社から遠ざけるという形をとってきたことは、冷たい態度のようにも見えます。しかし、力が衰えた者を休ませ、回復してから戻すという解釈に立てば、見え方は変わります。
どちらの解釈が正しいかを当サイトは決めません。そういう考え方があり、そういう慣習が続いてきた。書けるのはそこまでです。
忌明けに神棚の白紙を外し、久しぶりに手を合わせる。あるいは五十日ぶりに氏神の鳥居をくぐる。その一瞬に何を感じるかは、経験した人にしか分からないでしょう。作法の記事に書けるのは、その手前までです。
神葬祭を営む家は多くありません。それでも、参列する側になることはあります。そのとき、忍手という作法を知っているだけで、その場に静かにいられます。作法を知る意味は、結局そこに尽きるように思います。
当サイトは、市内145社の記録を続けています。祭神が確認できたのは109社、例祭日は102社、大正期の由緒は112社。残りについては、『磐田市誌』や現地の由緒板を確かめる必要があります。作法の記事も、そうした記録と同じく、分かる範囲を丁寧に書き留めることを方針としています。分からないことは、分からないと書きます。
出典・参考
- 神社本庁「神葬祭」ほか公開資料