参拝の作法L12026-07-29

神社参拝の流れ(総論)── 鳥居から退出まで

神社参拝の一連の流れを、鳥居のくぐり方から退出まで順を追って説明します。それぞれの動作の意味もあわせて紹介します。

参拝の流れ

神社にお参りするとき、決まった順序があります。厳密な規則というより、長く行われてきた形が受け継がれてきたものです。順を追って見ていきます。

1鳥居の前で一礼参道に入る前に、社殿の方へ向かって軽く頭を下げる2参道を進む中央は神の通り道とされるため、端を歩くのが通例3手水舎で清める左手・右手・口の順に清め、最後に柄の部分を流す4拝礼する賽銭を入れ、鈴があれば鳴らし、二拝二拍手一拝5退出時にも一礼鳥居を出たところで社殿へ向き直り、一礼する
参拝の一般的な流れ(神社本庁が案内する形にもとづく。地域や社によって細部は異なる)

鳥居の前で立ち止まり、社殿の方へ向かって軽く頭を下げます。ここから先が神域であるという区切りを、体で示す動作です。参道に入ったら、中央を避けて端を歩きます。参道の中央は「正中」と呼ばれ、神の通り道とされているためです。

手水舎があれば、そこで手と口を清めます。左手、右手、口の順に清め、最後に柄杓の柄を流します。これは禊を簡略にした所作とされ、身を清めてから神前に進むという考え方にもとづきます。

社殿の前に着いたら、賽銭を入れ、鈴があれば鳴らします。そして二拝二拍手一拝の拝礼を行います。祈るときは、まず住所と名前を心のなかで述べ、日頃の感謝を伝えてから願いごとをするとよい、と案内されることが多いようです。

帰るときも、鳥居を出たところで社殿の方へ向き直り、一礼します。来るときと帰るときの両方に礼があることで、参拝という行為に始まりと終わりの区切りができます。

それぞれの動作の意味

これらの動作には、それぞれ理由があると説明されています。

鳥居での一礼は、他人の家を訪ねるときに玄関で挨拶するのと同じことだと説明されます。神域に入らせていただく、という気持ちを形にしたものです。

参道の端を歩くことについては、中央が神の通り道であるためとされます。ただし、参道の幅が狭い神社や、参拝者が多いときには、無理に端に寄る必要はないでしょう。形式を守ることが目的ではありません。

手水は、川や海で身を清める禊を簡略にしたものとされます。かつては参拝の前に川で体を清める習慣があり、その名残が手水舎だと説明されます。磐田市内でも、矢奈比賣神社の裸祭では、例大祭の三日前に氏子が遠州灘で身を清める「浜垢離」の神事が行われます。手水の元の形が、いまも祭りのなかに残っている例といえます。

賽銭については、もともと金銭ではなく、米や初穂を供えたものが起源とされます。金額に決まりはありません。

作法が変わってきたこと

いま一般的とされる作法も、昔から同じだったわけではありません。

二拝二拍手一拝という拝礼の形は、明治以降に整えられ、戦後に広く定着したものとされます。それ以前は地域や社によって拍手の数や順序が違っていたと考えられています。出雲大社の二拝四拍手一拝のように、いまも異なる形を保つ社があるのは、その名残といえるでしょう。

手水についても、柄杓を置く神社が減りました。感染症への配慮から、流水を直接使う形に改めた社が各地にあります。磐田市内でも、柄杓のない手水舎を見かけます。作法は固定されたものではなく、時代の事情に応じて変わってきました。

大切なのは、形を守ることそのものではなく、清めてから神前に進むという考え方を受け継ぐことでしょう。柄杓がなければ、流水で手を洗えばよい。水がなければ、心を整えて進めばよい。当サイトが作法を説明するとき、「こうしなければならない」ではなく「こう案内されることが多い」という書き方を選んでいるのは、この幅を残しておきたいからです。

磐田の実際 ── 無人の社が多い

ここまでは一般的な作法です。磐田市内の神社を訪ねる場合、事情が少し違います。

当サイトが把握している市内145社のうち、神職が常駐していることが確認できるのは数社にすぎません。矢奈比賣神社、府八幡宮、貴船神社(掛塚)といった規模の大きな社には社務所があり、御祈祷の受付も行われています。しかし大半の社は無人です。

常駐が確認できる社 3兼務と確認できる社 3管理形態が未確認の社 140
磐田市内146社の管理形態(当サイトが確認できた範囲。大半は未確認で、実際には無人の社が多いとみられる)

無人の社では、手水舎に水が張られていないことがあります。柄杓が置かれていないこともあります。鈴の緒が外されている社も少なくありません。これは手入れがされていないという意味ではなく、日常的に人がいない社では、水を出しっぱなしにできない、備品を置いておけないという事情によります。

そうした場合は、形にこだわらず、鳥居で一礼し、社殿の前で手を合わせるだけでも十分です。手水ができなければ、ハンカチで手を拭くなり、心のなかで清めるつもりで臨めばよいでしょう。作法は神と向き合うための手立てであって、手立てが整わないから参拝できない、というものではありません。

もう一つ、無人の社を訪ねるときに気をつけたいことがあります。境内が私有地に隣接している場合や、社殿のすぐ裏が住宅である場合が、市内には少なくありません。写真を撮るときは住宅が写り込まないようにし、大きな声を出さないなど、近隣への配慮を忘れないようにしたいものです。

祭りの日に訪ねるとき

例祭の日に訪ねる場合は、また別の配慮が要ります。

当サイトが確認した市内の例祭日は102社分で、10月中旬に集中しています。この時期は、氏子の方々が総出で準備や運営にあたっています。祭りは見学のために行われているのではなく、その集落の行事です。境内に立ち入ってよいか迷うときは、遠くから拝すだけにするか、氏子の方に一言尋ねるのがよいでしょう。

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例祭日が判明している104社の月別分布(資料の記載時点。現在の祭日とは異なる場合がある)

矢奈比賣神社の裸祭のように、国の重要無形民俗文化財に指定され、多くの見学者を迎える祭りもあります。そうした祭りには見学の作法が別に案内されていることが多いので、主催者の案内に従ってください。

一方、氏子だけで営まれている小さな祭りもあります。市内の村社の例祭は、氏子が数十戸という規模の社が少なくありません。そうした場に外から入っていくときは、地域の行事にお邪魔しているという意識を持ちたいものです。

子どもと一緒に参拝するとき

子どもを連れて神社に行くとき、作法をどう伝えるかで迷うことがあります。

細かい手順を最初から教える必要はないでしょう。鳥居の前でおじぎをする、手を洗う、手を合わせる。この三つができれば十分です。動作の意味を尋ねられたら、そのときに答えればよいと思います。

磐田市内の神社は、境内が小さく、参拝者もまばらな社が大半です。子どもが多少騒いでも気兼ねの少ない場所ではありますが、近隣に住宅が接している社が多いことには注意が要ります。社殿の裏がすぐ民家という社も珍しくありません。

七五三や初宮参りで正式に御祈祷を受ける場合は、神職の常駐する社を選ぶ必要があります。市内でそれが可能な社は限られており、事前の予約が確実です。詳しくは別の記事で扱います。

参拝の作法をひととおり見てきました。覚えることが多いように見えるかもしれませんが、実際に何度か訪ねているうちに身につきます。最初から完璧である必要はありません。

当サイトは磐田市内145社それぞれにページを設けています。近所の氏神がどの神を祀り、いつ祭りをしてきたのか。調べてから訪ねると、同じ社でも見え方が変わります。作法は、その社と向き合うための最初の一歩です。

よくある迷いについて

参拝にあたって迷いやすい点を、いくつか挙げておきます。

お参りする順番。境内に複数の社がある場合、まず本社に参拝し、そのあとで境内社に参るのが通例とされます。磐田市内には境内社を多く持つ社があります。『静岡県磐田郡誌』(大正10年)によれば、若宮八幡宮(森下)は境内社二十四社、東八王子神社(前野)は十三社を数えました。現在も残っているかは現地で確かめる必要がありますが、小さな社殿がいくつも並んでいる場合は、本社から参るとよいでしょう。

服装。普段の参拝であれば、特別な決まりはありません。ただし御祈祷を受ける場合は、襟のある服装が望ましいとされます。祭礼の日に氏子として参列する場合は、地域の慣習に従ってください。

写真撮影。境内の撮影が禁じられている神社もあります。掲示があればそれに従います。掲示がない場合でも、社殿の内部、御神体、祭祀の最中は撮影を避けるのが無難です。当サイトが写真を掲載する際には、人物が写り込んだものは公開しない、社務所や住宅を写さない、防犯設備や施錠の状態が分かるものは載せない、という方針を定めています。

忌中の参拝。身内に不幸があった場合、一定期間は神社への参拝を控えるという考え方があります。期間には地域差があり、五十日を目安とする案内が多いようです。詳しくは別の記事で扱います。

参拝の記録をつける

最後に、当サイトならではの提案を一つ。

神社を訪ねたら、簡単な記録を残しておくことをおすすめします。訪ねた日、社名、鳥居の形、社殿の様子、掲示板に何が貼ってあったか。とくに社頭の掲示は、その年の祭りの日程や氏子への連絡が書かれていることがあり、資料には載らない情報が得られます。

当サイトは市内145社の情報を整理していますが、祭神が判明しているのは110社、例祭日は102社にとどまります。残りは資料に記載がなく、現地で確かめるほかありません。由緒板が立っている社であれば、そこに書かれていることが手がかりになります。

お参りは信仰の行為ですが、同時に、その土地を知る行為でもあります。手を合わせたあと、少し境内を歩いてみる。石灯籠の年紀を読んでみる。社叢の木を見上げてみる。そうした時間が、その社を単なる通過点ではないものにしてくれます。

1二拝腰を九十度に折る深いお辞儀を二度2二拍手胸の高さで両手を合わせ、右手を少し下げてから二度打つ3一拝手を合わせて祈念したのち、もう一度深く頭を下げる
二拝二拍手一拝の手順(出雲大社など拍手の数が異なる社もある)

作法を知ることの意味

作法を細かく気にしすぎる必要はありません。神社本庁も、形式より心持ちが大切であると案内しています。

それでも作法を知っておく意味は、二つあると思います。一つは、迷わずに済むこと。手順が分かっていれば、人前でも落ち着いていられます。地鎮祭や神葬祭のように、突然その場に立たされる機会もあります。

もう一つは、動作の背後にある考え方に触れられることです。なぜ参道の端を歩くのか、なぜ手を清めるのか。理由を知ると、その動作が意味を持ちはじめます。何百年も繰り返されてきた所作を、自分もいまなぞっているのだという感覚が生まれます。

磐田の神社の多くは、社殿も境内も小さく、訪ねる人もまばらです。それでも、そこには氏子の方々が代々続けてきた祭りがあり、掃除をする人がいます。作法を守るということは、その積み重ねに敬意を払うということでもあります。

出典・参考