参拝の作法L12026-07-29

二拝二拍手一拝 ── 拝礼の作法とその由来

神前での拝礼「二拝二拍手一拝」の手順と、この形が広まった経緯、例外となる神社について説明します。

二拝二拍手一拝の手順

神前での拝礼は、二拝二拍手一拝という形が一般的です。順を追って見ていきます。

1二拝腰を九十度に折る深いお辞儀を二度2二拍手胸の高さで両手を合わせ、右手を少し下げてから二度打つ3一拝手を合わせて祈念したのち、もう一度深く頭を下げる
二拝二拍手一拝の手順(出雲大社など拍手の数が異なる社もある)

まず、賽銭を入れます。鈴があれば鳴らします。そのうえで姿勢を正し、腰を九十度に折る深いお辞儀を二度行います。これが「二拝」です。

次に、胸の高さで両手を合わせます。このとき右手を少し下にずらし、二度打ちます。これが「二拍手」です。打ち終えたら手をそろえ、心のなかで祈念します。

最後に、もう一度深く頭を下げます。これが「一拝」です。

拍手のとき右手を少し下げるのは、左手を神、右手を自分に見立て、へりくだる姿勢を示すためと説明されることがあります。ただしこの説明は複数ある解釈の一つで、確定したものではありません。

いつからこの形になったか

二拝二拍手一拝という形は、比較的新しく定着したものとされます。

明治以降、神社の祭祀を統一する動きのなかで拝礼の形が整えられ、戦後に一般の参拝作法として広く案内されるようになりました。それ以前は、地域や社によって拍手の数や順序が異なっていたと考えられています。

その名残は、いまも各地に残っています。出雲大社では二拝四拍手一拝、伊勢神宮の一部の祭祀では八度拝八開手といった形が伝えられています。宇佐神宮も四拍手です。これらは古い作法を保っている例とされます。

つまり、二拝二拍手一拝は「唯一正しい形」ではなく、「現在もっとも広く案内されている形」です。訪ねた社に独自の作法があれば、それに従うのが本来の姿でしょう。

磐田の実際 ── 案内のない社が大半

磐田市内の神社を訪ねる場合、拝礼の作法について案内が掲示されている社はほとんどありません。

常駐が確認できる社 3兼務と確認できる社 3管理形態が未確認の社 140
磐田市内146社の管理形態(当サイトが確認できた範囲。大半は未確認で、実際には無人の社が多いとみられる)

当サイトが把握している市内145社のうち、神職の常駐が確認できるのは数社です。矢奈比賣神社(見付)、府八幡宮(中泉)、貴船神社(掛塚)には社務所があり、御祈祷の受付も行われています。これらの社では作法の案内が掲示されていることもあります。

一方、大半の無人社には掲示がありません。拝殿の前に立っても、何をすればよいかを教えてくれるものはない。そういう場所では、一般的な形である二拝二拍手一拝を行えば差し支えありません。

もっとも、市内の社に独自の拝礼作法が伝わっていないとは限りません。当サイトが依拠する『静岡県磐田郡誌』(大正10年)は、社格・祭神・例祭日・由緒を記しますが、拝礼の作法までは記録していません。氏子の方々のあいだで受け継がれている作法があるとすれば、それは現地で尋ねる以外に知る方法がありません。

祭礼の日に氏子として参列する場合は、周囲の方の動作に合わせるのが確実です。集落ごとに細部が違うことは、十分にありえます。

拍手という動作

拍手について、少し立ち入って考えてみます。

手を打つという動作は、日常のなかにもあります。喜びを表すとき、合図を送るとき、区切りをつけるとき。神前での拍手も、そうした身体の動きの延長にあります。

音を出すという点も重要です。参拝は多くの場合、静かに行われます。そのなかで拍手だけが音を発します。自分がここにいることを示す音、あるいは日常の意識を切り替える音。解釈はさまざまですが、静けさのなかに二度の音が響くという構成そのものに、この作法の性格が表れているように思います。

神葬祭など弔いの場では、音を立てない「忍手」で拍手をします。同じ動作でも、場面によって音の有無が変わる。音が意味を持っているということです。

1玉串を受け取る右手で根元を上から、左手で葉先を下から支える2案の前へ進む玉串を胸の高さに保ったまま進み、一礼する3時計回りに回す根元が神前を向くよう、右手を手前に引いて回す4案に置く両手で根元を神前に向けて捧げる5拝礼して下がる二拝二拍手一拝ののち、向きを変えずに数歩下がる
玉串奉奠の手順(地鎮祭・神葬祭・結婚式などで行う)

祈るときに何を言うか

拍手のあと、手を合わせて祈念します。ここで何を思うかについては、いくつかの案内があります。

まず自分の住所と名前を心のなかで述べ、日頃の感謝を伝え、そのうえで願いごとをする、という順序がよく紹介されます。神に対して名乗るという考え方です。

ただし、これも決まりではありません。言葉にならない思いを抱えて社殿の前に立つこともあります。何を祈るか、どう祈るかは、その人と神との関係の問題です。

一つだけ言えるのは、氏神への参拝と、崇敬する神社への参拝では、性格が少し違うということです。氏神はその土地に住む者を守る神とされ、日々の暮らしの報告をする相手です。特定の願いを持って遠方の社に参るのとは、関係の結び方が違います。

磐田市内の145社の多くは、集落の氏神です。氏子が数十戸という小さな社も少なくありません。そうした社の前に立つときは、大きな願いごとよりも、この土地で暮らしていることの報告に近い気持ちのほうが、場に合っているかもしれません。

もっとも、これは当サイトの感想であって、作法ではありません。どう祈るかを他人が決めることではないでしょう。

拝礼の前と後

拝礼そのものだけでなく、その前後の所作についても触れておきます。

社殿の前に立つとき、正面の中央を避けるという考え方があります。参道の中央が神の通り道とされるのと同じ理由です。ただし、これは厳密に守られているものではなく、混雑した社では中央に立つほかない場面もあります。

賽銭は、投げ入れるのではなく、そっと入れるのがよいとされます。音を立てて投げ込む必要はありません。鈴を鳴らすのは、神を招くため、あるいは邪気を祓うためと説明されますが、この解釈も一つに定まってはいません。鈴の緒が外されている社では、鳴らさずに拝礼します。

拝礼を終えたら、その場を離れます。後ろに人が並んでいる場合は、速やかに場所を譲ります。境内をゆっくり見たい場合は、拝礼を終えてから移動するとよいでしょう。

御祈祷を受けるとき

一般の参拝ではなく、社殿に上がって御祈祷を受ける場合は、拝礼の場面が増えます。

修祓(お祓い)、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌といった流れのなかで、神職の案内に従って頭を下げたり、玉串を捧げたりします。玉串奉奠については別の記事で扱います。

磐田市内で御祈祷を受けられる社は限られます。『静岡県磐田郡誌』が記す「代表者」欄に神職名がある社は、市域146件のうち7件にすぎません。静岡県神社庁の掲載でも、各種御祈祷の案内があるのは3社です。厄祓いや初宮詣などを希望する場合は、まず社頭の掲示や社務所で連絡先を確認し、電話などで予約するのが確実です。

兼務の宮司が複数の社を受け持っている場合、その社に常時人がいるとは限りません。『静岡県磐田郡誌』では、諏訪神社(大当所)・日吉山王神社(上野部)・秋葉神社(新開)の三社が同じ宮司の名で記されており、大正期からこうした形があったことが分かります。

1鳥居の前で一礼参道に入る前に、社殿の方へ向かって軽く頭を下げる2参道を進む中央は神の通り道とされるため、端を歩くのが通例3手水舎で清める左手・右手・口の順に清め、最後に柄の部分を流す4拝礼する賽銭を入れ、鈴があれば鳴らし、二拝二拍手一拝5退出時にも一礼鳥居を出たところで社殿へ向き直り、一礼する
参拝の一般的な流れ(神社本庁が案内する形にもとづく。地域や社によって細部は異なる)

参列する立場になったとき

自分ひとりで参拝するのではなく、祭礼や神事に参列する立場になることがあります。

地鎮祭の施主として。初宮参りの家族として。あるいは、氏子として例祭に出るとき。そうした場では、周囲の動作に合わせるのが基本です。神職が「二拝二拍手一拝でお願いします」と案内することも多く、その指示に従えば間違いありません。

神葬祭など弔いの場では、拍手を音を立てずに行う「忍手」を用います。手を合わせる直前で止め、音を出さずに二度合わせます。この違いを知らないと、静まった場で音を立ててしまうことになります。覚えておくとよい例外の一つです。

磐田市内の例祭は10月中旬に集中しており、当サイトが確認した102社の例祭日のうち、多くがこの時期です。氏子として参列する機会があれば、その社の慣行に従うのがいちばん確実です。

形式と気持ち

作法の記事を書いていて、いつも迷うことがあります。どこまで細かく書くべきか、ということです。

手順を細かく示せば、迷わずに済みます。しかし細かすぎると、「間違えてはいけない」という緊張を生みます。神社本庁も、形式より心持ちが大切であると案内しています。

当サイトは、手順を示したうえで、「こう案内されることが多い」という書き方を選んでいます。断定を避けるのは、作法が地域や社によって異なりうること、そして時代とともに変わってきたことを踏まえてのことです。

二拝二拍手一拝も、明治以降に整えられ戦後に定着した形です。百年前の磐田の人々が、いまと同じ拝礼をしていたとは限りません。『静岡県磐田郡誌』は拝礼の作法を記録していないため、当時どうだったかを知る手立てはありません。

それでも、社殿の前で頭を下げるという行為そのものは、おそらく変わっていないでしょう。何を何回するかは変わっても、頭を下げるという動作は残る。作法の細部にこだわりすぎず、その一点を大事にすればよいと思います。

拝礼の形式について長く書いてきましたが、最後に一つ付け加えておきたいことがあります。

作法を知らないまま参拝している人を、咎めるために作法を知るのではない、ということです。

神社の境内では、さまざまな参拝の形を見かけます。拍手を三回打つ人、一礼だけで済ませる人、手を合わせたまま長く動かない人。そのどれもが、その人と神との関わり方です。隣に立った人の作法が自分と違っても、それを正す立場に自分はいません。

当サイトが作法を説明する記事を置いているのは、「知らないから行きにくい」という気持ちを少しでも減らしたいからです。作法は入口を狭くするためのものではなく、入りやすくするためのものだと考えています。

磐田市内には145社の神社があります。その多くは無人で、案内板もなく、訪ねても誰も何も教えてくれません。だからこそ、二拝二拍手一拝という共通の形が役に立ちます。何をすればよいか分からないときの、とりあえずの答えとして。

そのうえで、その社が何を祀り、いつから在り、誰に支えられてきたかを知れば、同じ拝礼でも意味が変わってくるでしょう。当サイトが一社ずつのページを設けているのは、そのためです。

拝礼の形は覚えれば済みます。その社を知ることのほうが、時間はかかりますが、長く残ります。

出典・参考